【放送大学】政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」
2015-10-20


めっきり秋の深まった感のある本日、こんなニュースが出ていました。
ちなみにこの投稿のタイトルは、元記事のものです。

放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」

上のヤフーニュースの元記事が下。
放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」

まず、問題の核となる「現政権への批判」云々について、このブログでは政治等の問題を取り上げるつもりはないので触れません。
私が気になるのは、これを「言論統制」「検閲」といえるのかどうかという点、教育とはどうあるべきかという問題です。

試験問題では、
「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」
という記載があったようです。

此度の安保法案改正へは様々な意見があり、日本国民には「表現の自由」「学問・信条の自由」が認められているのですから、そのいずれを唱えることも私は安易に否定できることではないと思っています。

また、教授個人がいわゆる「右」「左」のいずれの考え方をするのも自由ですし、それを教える・学ぶ自由もあるでしょう。

ただ、「安保法案=戦争法案」と受け止めるか否かは、様々な意見がある。
つまり個人の受け止め方や「信条」により大きく異なっている前提を考えると、いわゆる上の試験問題のように、
「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。」
と決め打ちで試験にしてしまうことは、いかがなものでしょう。

また、記事にはこうともあります。  放送大の来生新(きすぎ・しん)副学長は「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い、放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した」と話した。

 放送法4条は放送局に対し「政治的に公平である」「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことを求めている。
放送大学は放送法に則る、という点が大学側の主張ですが、私は放送法云々以前に、教育とはいかにあるべきか、を考えてしまうのです。

私は、大学教育には、最終的には「中道」を求めたい。
教授のいかなる思想を教えるのも結構です。
ただし、あくまでそれは「ひとつの考え方である」ことを前提として欲しい。
「放送法に照らし公平」である前に、「教育理念として公平」であって欲しい。

実際問題としてただの理想であるとはわかっていますが、
「○○である。」
とするか、
「○○である、と考える。」
とするのでは、思想の偏り方がだいぶ修正されると思うのです。

ただ、学ぶ側にも自由があるのだから、思想に不満なら講義を取らなければいい、とも考えられるのですよね。
与える側に公平を強いるか、与えられる側が選択するか。

難しい問題です。
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